十五夜の踊りの伝承について

昭和56年8月27日 各班の古老たちを招集し、郷土浮辺地区に伝来する「十五夜行事」について往時を振り返っていただいた。

・昭和46年ごろの話
 新田班・田附班の児童生徒の減少で、班独自の踊りを踊れなくなった。公民館が合併(昭和46年4月1日)したこともあり、4班の踊りを一緒にすることはできないかが話し合われた。割と共通点も多いので、その点を重視して、合同の踊りを作ることにしたようです。

この時の協議により、ソラヨイの唄は、

サーヨイヤショ シリーッ シリーッ
ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ
ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ
ソーレワヨイ ヨーイヨーイヨイ 
ヨイヤショ シリーッ シリーッ

に統一したそうです。

ちなみに、十五夜行事の起源については、当時の古老たちも不明との回答だったと記録されています。

昭和56年8月27日 出会者
 田中盛二 浮辺公民館長
 池田 勇 公民館評議員会書記
 早川教栄 公民館青少年部担当

招集者
 永崎春香 田附班 最長老者 88歳
 川辺信夫 田附班
 猪谷幸吉 田附班
 田中司郎 下門班
 村永春香 上門班      81歳
 松下重志 上門班
 山口末男 上門班
 安藤幸雄 新田班(欠席)

【合併前のソラヨイ踊り】
田附では、サーヨイヤショの場合、土俵上で全員が輪になり、歌いながら踊る。
上門では、全員が月の方向を見て、横に動きながら踊る。
下門では、月の方向を見て、歌いながら踊る。横動きはない。

協議により
田附班の踊りを取り入れる。「サーヨイヤショ」の掛け声は頭(カシタ)が言う。

◇往時は、黙い(だまい)があったが、最近はそれがなくなっている。
 ※黙い(だまい)の意味は?はっきり分からないが、「神さまが通るとき」とか聞いたことがある。

協議により、往時を復活させ、往時のように「サーヨイヤショ」を2回繰り返した後、3回目は黙い(だまい)とし、4回目に「サーヨイヤショ」を入れる。

◇「サーヨイヤショ」を小さい順に二人ずつ土俵上でさせたらどうかの意見があり特に異論はなかった。

◇列の作り方
 ・先導は下頭(シタガシタ)で、7歳から順に並ぶ。頭は列の最後だった。

◇帽子の飾り
 ・頭(カシタ)は、背中と腰にミノを付けていた。みんなが着物の時代だったので、裸に兵児帯姿だった。
 ・今の紙飾りは派手で数が多すぎる。丸花が3本とカイコ(垂らし)が2本だった。頭(カシタ)には、みんなが1本づつ差し上げていたので多かった。
 

【参加年齢と呼称】
1. 数え年7歳から14歳までの男児が強制的に参加
 「男女7歳にして席を同じくせず」に通じるものがあったのではないか。

2. 呼称は同士加(ドシガタイ)

【同士加の呼称】

1 頭(カシタ)どん 数え年14歳(中学1年生) 最高責任者
2 下頭(シタガシタ)どん 数え年13歳(小学6年生)
3 三頭(サンガシタ)どん 数え年12歳(小学5年生)
4 四頭(シガシタ)どん 数え年11歳(小学4年生)
以下は、特に呼称はなかった

【行事の流れ】

(1) 盆前になると各班ごとに同士加の招集があり、頭(カシタ)の指示により下頭(シタガシタ)を中心に集落内の墓地の不要になった霊屋(タマヤ)・竹の花瓶・竹の線香立てを集めた。七夕の墓地掃除のため沢山あった。

(2) 夕方になると踊りの稽古のため同士を集める唄を大声で繰り返し歌う。

コンニャデント コムッガライッバ テマゴッチョ ホーイホイ
(今夜出てこないと 小麦藁束を一把 松明を5丁 ホーイホイ)

(3) 盆に入ると土俵作りがあり、相撲の練習が始まる。旧暦8月1日頃は闇夜であったため、霊屋(タマヤ)等を燃やし、相撲の練習時の明かりにしていた。火の担当は下頭(シタガシタ)。主な仕事は、下頭(シタガシタ)がやっており、頭(カシタ)は威張っているのみであった。明かりは十五夜の前日まで焚かれていた。

(4) 本格的な行事の始まりは、旧暦8月1日。下頭(シタガシタ)を中心に茅切りが始まる。また、集落内(班)の各家を廻り、藁を譲ってもらう。藁のない家からはお金をもらった。

(5) 本番一週間前に長木を使った櫓が同士加によって建てられる。

⑹ 雨の日は、公民館ができる以前は、長木を納めた三角形の藁小屋の中で、十五夜当日、綱引き前の歌を練習したり、わら帽子を編んだりして過ごす。

綱引き前の唄(小声で練習、本番は大声)

ハッガッノジュゴ ヤンツーナエートエート ハッガッゴ
ジュンツーナエートエート ゴヤンゴヤンゴヤン

八月の十五夜の綱へと綱へと(集まってよ)(豊作の)占いが始まるよ
純(清められた)十五夜の綱へと綱へと(集まってよ) ごやんごやんごやん

7. 大綱作りの2〜3日前になると、大綱の芯になる竹を切り出し、竹を割って準備を整える。また、芯になる竹をくくるための葛蔓(カンネンカズラ)を採りにいく。採った葛蔓は、乾かぬよう川の中や洞穴に置いた。一方、頭(カシタ)や下頭(シタガシタ)は、集落内の青年(ニセどん)の家を訪ね、大綱作りの依頼をして回った。

【大綱作り】

(1) 下頭(シタガシタ)の家では、綱作りの休憩時に食べる芋を蒸したり、漬物などを準備した。また、生菓子なども来てくれる青年の数だけ予め準備した。
(2) 集まった青年たちは、なかなか動かず、それでもご機嫌を伺うように綱作りをしてもらう。
(3) 同士加は、下頭(シタガシタ)の指示により、手分けして各青年の側に付き青年の指示に従って茅を大人の腕の太さに纏めて渡す。
(4) 青年の「頭(カシタ)どん出て来い」の指示で頭(カシタ)は出て行き、綱の芯の竹を茅などと共に抱きかかえ、芯が動かないように「芯下い(しんさがい)」をする。青年たちは、芯を抱えた頭(かしら)を蹴ったりしながら綱を編み上げ、これを繰り返して出来上がるまで綱を作っていく。普段威張っている頭(カシタ)たちが涙を流す姿が見られた。
 「頭(カシタ)たち」は、元旦の夜、強制的に青年団に加入することになっていたので、青年団の厳しさを知らしめるための「芯下い」であったと思われる。
(5) 綱が出来上がると、同士加は、綱の中心から左右に分かれ、青年の指示に従って綱を転がして締め上げていき、縒りが戻らぬよう縄で括っていく。また、綱が引きやすいように縄であちこちに手を作っておいた。この作業が終わると綱が直接見えないように余った茅や藁を全体にかけた。

【帽子】

藁小屋で作っておいた帽子には、紙で作った丸花を二本と垂れ花(カイコ)二本を作って帽子の編み込みに差した。色紙がないときは紅を色々溶かし活用した。同士加は、一本ずつ頭(カシタ)に献上し、頭(カシタ)の帽子は、花いっぱいで飾られ、予め決まった場所に置いた。

【綱引き】 綱は道路の真ん中に置き、青年団が来るのを待つ。

⑴ 青年団(ニセ)
 ① 数え年15歳から25歳で組織され、地域の治安・災害などを守る重要な存在で特権も与えられていた。団の集会日は各人が夜警棒(樫で3尺)を持参するのgが決まりであった。15歳青年(ニセ)は、青年クラブの入口で夜警棒を預かる役を当番で担っていた。

 ② 午後6時に、頭(カシタ)は白タオル・白ズボン・白の長袖姿で青年クラブに集まり、気勢を盛り上げるために焼酎の茶碗を回し、団長の挨拶の後、副団長が諸注意を促し、午後7時、日の丸を先導して夜警棒を手に2列に並び今年最初の地域に出かける。途中先導者は、「ヒコーヒコー」「ヒコーヒコーヒコー」と号し、列人はこれに従って目的場所に着くまで繰り返す。

⑵ ドシガタイ(子どもたち)
 早めに夕食を済ませ櫓の下に集まり、同士を集める唄を歌う。
  「コンニャデント コムッガライッバ テマゴッチョ ホーイホイ」

 同士が集まったところで、頭(カシタ)が挨拶し、下頭(シタガシタ)が今夜の流れの確認と、各自の居場所・任務を指示した。
  A 見張り(青年団の動き)→ 到着が近い時、十五夜唄で知らせる。
  B Aからの唄を聞き、自分たちも唄って皆に知らせる。
  C 縄などを隠し持ち、綱切りの様子を見張る。
  D 表に出ず、目立たぬよう行動する

⑶ 綱引き
 青年団は、綱に向かって進み、「ヨイトサー ヨイトサー」のかけ声、夜警棒で綱を叩きながら右回りで2周する。次に綱に被せられた茅や藁を棒でかき除き、棒を持った左手を腰に置き、右手で綱に手をかけ、片手で綱を持ち上げ試し引き、先ず青年団が二手に分かれ

 「ボッボッ イッモソカイ」

のかけ声で軽く引き合う。

 その後、青年団を集落民が綱引き。「ヨイトサー ヨイトサー」で真剣に引き合う。(棒は持ったまま)
 休憩では、青年団は綱に腰をかけ休む。この間、集落民に見破られないように桑切鎌などで綱を切る。

 再び綱引き

 綱が切れたら切れた部分を交差させ、縄で数カ所を結ぶ。再度、集落民と綱引き。
 休憩し今度は、綱の後尾に近い方を切る。後尾の切れた綱を引っ張って15歳ニセは走り去り、近くの川に投げ込む。他の青年達は列立てして、次の集落へ向かう。2ヶ所の集落を回った後は、青年クラブへ戻り、腹ごしらえをして次へ向かった。周り順のため、最後の集落は夜遅くなっていた。

【そらよい踊り】

 青年団が去った後、集落民が綱を道路の端に片付け、ドシガタイの子ども達は、預けてあった帽子をかぶり、下頭(シタガシタ)が先導し1年生から背丈の小さい順に並び、最後尾に頭(カシタ)が位置し、「セーノ」のかけ声でお踊り始める。
 土俵までは

ソーレワヨイ ヨーイヨーイヨイ 
ヨイヤショ シリーッ シリーッ 
ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ

を繰り返して土俵まで進む。土俵上で丸くなり、月を仰ぐ姿勢で頭の「サーヨイヤショ」のかけ声で

サーヨイヤショ シリーッ シリーッ
ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ
ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ

と、2回繰り返し、3回目は無言で動作だけで踊り、4回目は再び

サーヨイヤショ シリーッ シリーッ
ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ
ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ

と踊る。

その後、下頭(シタガシタ)が先導し1年生から背丈の小さい順に並び、最後尾に頭(カシタ)が位置し出発地点に戻る。

【ショーヤショヤ】

1年生から順に「ショーヤショヤショーヤショヤ」と土俵に向かって走り、最後にお落ち言葉を言って土俵上で頭から1回転する。

お落ち言葉
 オカベンカドデ ビンタヲ ツッポゲタ
 (豆腐の角で頭に穴をあけた)

 バンメシャ マタ カイモジャッタ
 (夕食は、また、唐芋だった)

【相撲】
 1年生から背丈の小さい順に取り、2人抜き〜5人抜きと取っていく。
 女人相撲はなく、あくまで男の子の祭りであった。

【十五夜の後】

 下頭(シタガシタ)の指図で大綱を解く作業をする。茅と藁、竹、縄などに分類した。
 手分けして解いたものを各戸に売り歩く。茅や藁、縄は肥料に、竹は風呂等の焚き物にした。
 櫓を壊して片付けるのも子ども達で行う
 藁や縄の売却代などは、頭(カシタ)が自分の取り分を保ち、残った分を全員に分配したが、働く様子、貢献度によって異なり、不平も多かった。